松濤館の空手道家・船越義豪先生空すごい!
船越義珍先生の家族構成
「近代空手道の父」 と言われた松濤館創始・船越義珍(ふなこしぎち)先生には、4人のこどもがいました。
長男:義英(ぎえい)先生:期待され空手の英才教育をうけた
次男:義雄(ぎゆう):武道に興味なし
三男:義豪(ぎごう)先生:天才と革命児と言われた空手家
四男:義傑:はやくに他界
船越義豪先生の「空手+道」家の資質
父・船越義珍先生は、長男・義英先生に対して期待が高く、長男を 糸洲 安恒 (いとす あんこう )先生 、 安里安恒(あさと・あんこう)先生のところで修行させています。その長男・義英先生や他の先生たちが「老先生(船越義珍先生)は努力型、若先生(義豪先生)は天才型」と証言しています。
義豪先生は、17歳で上京して、材木商で働き、のち、レントゲン技師として文武両道でありました。父・船越義珍先生のサポートをまわりの先生方に勧められ、レントゲン技師を辞めて、空手一本の生活をしました。
船越義豪先生が「松濤館」革命児!
「親父の空手はダメ」といった(年齢とともに衰える演武のことだろうか?)
あくまで実戦の間合い、組手、競技を意識をした
柔道も学び、接近戦を思考
「空手は、剣や薙刀を相手に戦えなければならない」
武器をもった修行を行い、棒術は得意だった
船越義豪先生は「温故知新」の実践者
材木商、レントゲン技師として働くなかで、空手の修行を行っていた文武両道の持ち主でした。空手一本の職に就くことを嫌っていました。最後は、まわりの説得もあり、空手道の師範代のみで生計を立てることになりました。異なる仕事の経験は、社会性や本質をつける資質をつけている先生だと感じます。
その結果、社会経験と空手を取り巻く状況から「温故知新*」の実践者になりました。
* 温故知新(おんこちしん) : 昔の事をたずね求め(=温)て、そこから新しい知識・見解を導くこと。
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