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揚心館 CONTENTS

執筆者の写真YOSHIN-KAN

情報が溢れ、損得に振り回され、社会変化に対応するための強い自分を作る方法


何か1つのことを極めるということが軽視されていると思います。しかし、何かに没頭をして、極めるということは大切だと言いたい!


良さと言えば、「ぶれない人間になること」。この一言に尽きます。世の中、情報が溢れ、損得に振り回され、他人の優劣が気になり、社会変化に対応しないといけない。その解決策は、強い自分を作る方法として、特技やテーマを育てることです。


私の場合、少年時代は、母親からは、いろいろなことに目を向けて、空手以外のことをはじめたらと言われ続けました。社会人になり、納得いかないことを合意しないと、頑固だな!と多くの先輩たちに言われてきました。


しかし、すべての判断は正しかったと感じています。自分のテーマを持たない人、価値感を膨らませてこれなかった人が、自分のエゴを通すということとは違います。何を極めよう、何かを継続することを考えれば、自分の生活や価値基準が構築できます。


  • 例えば、私の場合、大学時代、三菱重工の総合職に決まって、転勤族になる覚悟を再確認されました。空手継続から選択から離れました。

  • 例えば、転職も、文武両道を前提に交渉をしてきました。つまり、道場があるから、道場の時間を考えたら、外資系企業への転職、起業へとつながってきました。

  • 例えば、モトローラ、HP、アドビ、マイクロソフトなどの部長や事業部長から直談判でチームに加わるように誘われてきました。しかし、自分が持つ基準があり、会社のブランド名で転職はしてこなかった。

そして、改めて、言いたい。目的が明確ですし、物事の価値基準をふくらませてきたことが、多数決だったら、こういう判断するだろうと、多数の考え方に身を任せていないことです。これが強みに転じることが多いですし、時代にマッチしてきたと感じます。


別でも書きましたが、日本人は、初詣は神道・葬式などは仏教、結婚式やクリスマスはキリスト教などなんでもよいという資質がありますが、物事への取り組み方が器用な民族です。

また、物事のテーマの切り替わりも柔軟的な民族です。その結果、以下が普通だと思っています。


  • 日本の学校教育制度は、長くものごと続ける美徳はない。好きなことを選択して多くの知識をつける(世界では多くの学校は学内スポーツクラブはなく、外部スポーツクラブに所属します。継続していきます)

  • 中学・高校・大学受験があるから、道場に通うことができない

  • 仕事をはじめたから、道場に通うことができない


上のような表現は、日本の教育システムとして、官僚や大手企業で向けの知的処理能力が高い兵隊をつくることが定着してきた産物だと思います。しかし、社会の激動、終身雇用はなくなり、冷たい社会(昔なら先輩や友達が手を差し伸べてくれていたが、今はどうでしょうか?)になってきました。

官僚や大手企業に就職したら安定するなんていう神話はないです。では、弁護士、会計士、税理士、税理士、医師という専門職に就いたら安定でしょうか。どの専門家でも仲間がいますが、安定やもうかる仕事だと思っている人は少ないです。

そして、自分を守るためには、自分での判断が重要な時代、つまり、自己判断能力が重要な世の中となってきました。しっかりと芯をもったひとは、万人受けはしないかもしれませんが、良い仲間が集まり、自分自身の判断基準も高まります。


だからこそ、空手初段をとったから、空手競技で優勝を続けた人がすごいとは思いません。プロセスに過ぎません。歯ブラシやトイレ、食事をするように、空手が生活の一部としてどう組み込むか、プロセスをどう構築するかだと考えます。自分のテーマを見失っていない人は、社会生活に、損得に振り回され、社会変化に対応するための必見です。


ところで、いろいろなことを知っており、いろいろなことができる人がうらやましいと思う人がいます。そのことで、自分を見失わないでほしいです。それが本当に美学なのかを見直してほしいと思います。要領が良い人は、集中型人間にはなれないです。大衆のなかで、器用にいろいろなことができると言うのは、他人を気にしすぎ、これが自分の弱さになる時代です。そして、1つ以上のことを極め、社会で戦える自分に築くことが必要な時代です。

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