「極真空手の分裂」、そこで起きたことは?
(初期の)極真会館のあこがれ
「地上最強のカラテ(映画)」では、極真空手・創始者・大山倍達総裁主催の第1回世界空手道選手権大会において、「日本人が負ければ、自ら切腹をする」と断言した。宮本武蔵の生き方、日本人の伝統と誇りについて語っており、日本人の魂を奮い立たせてもらいました。そして、「空手バカ一代(漫画)」では、現実離れをした狂人な技や動きは、極真空手の修行者でなくても「実戦空手」「地上最強の格闘技・空手」イコール「極真会館」とさらに心を奮い立たせてもらいました。
初期の極真空手は、伝統の空手の構えや技のなごりがあり、ザ・カラテという選手が多く、さらには、投げ、掴む選手もちらほらとみられました。また、ムエタイやキックボクシングにチャレンジする選手も多かった。揚心館の前進「野崎会館」は、「極真空手」の全日本空手道選手権大会、地方大会にも参加していました。また、極真空手の竜虎のひとりであり、極真空手から独立した士道館・創始者・添野 義二 館長が主催する試合に選手が出場していました(当時は、フルコンタクト空手の試合でしたが、後楽園ホールでした)。また、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟で同じ組織に所属したときは、親しみをもっていました。個人的には、極真空手から独立した「ケンカ十段」芦原会館・創始者・芦原秀幸館長の本はすべて買い読みました(英語版・日本語版ともに揚心館にはあります)。
全盛期の極真空手とあこがれ(一部)
極真空手の分裂
極真空手・創始者・大山倍達総裁の死後、一枚岩だった極真空手が内部派閥、分裂が生じました。極真空手以外の実戦空手の道場にも、「極真空手」看板をあげないかと言う声がかかりはじめました。揚心館にも声がかかってきました(派閥、経緯については公開できません)。揚心館として、「極真空手」のあこがれはあるものの「顔面打撃の主流にする実戦空手であること」「松濤館の流れであること」から断りました。
個人的には、極真空手が一枚岩であり、実戦空手のあこがれであり続けてほしいと切に願っています。
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