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執筆者の写真YOSHIN-KAN

夏目漱石「こころ」から読むラストサムライ?

更新日:2022年7月28日


『武士道』著者・新渡戸稲造は、夏目漱石「こころ」に共感をしたひとりです。実は、夏目漱石「こころ」の時代背景に大きな影響があります。明治時代後期の話であり、『封建的な道徳が美徳』の終結を表現した小説になります。


『武士道』著者・新渡戸稲造は、江戸時代の事例として、儒教・朱子学のことに触れています。義の重んじ方、つまり、『封建的な道徳の美徳』が夏目漱石「こころ」にあり、それに共感したことです。


夏目漱石「こころ」を要約すると、少年と先生の話です。先生が遺書として、少年に対して、自分自身が犯した罪を手紙にて告白をします。両親がなくなり、おじさんに財産をすべて奪われたことに対する人への憎悪。友達が好きだと言ったお嬢さんのことを告白された後、自分自身がそのお嬢さんと婚約をしたことにより、そのことで友人が自殺したことへの罪、その懺悔として、死を選んだことです。


これは、新渡戸稲造「武士道」で表現していた日本人の精神の1つと解釈してもよいと思います。


現代人が解釈するように、志賀直哉、芥川龍之介は、夏目漱石「こころ」を痛烈な批判をしました。西洋的な個人主義が芽生えてきた時代の幕開けには、大切な人のため、自分が苦しんで死ぬことはどうだろうか?という疑問です

「私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。」(『こころ』より引用)

天皇に対する忠義を尽くすために自らの命を絶った乃木大将の死を知って、先生は自殺を決意します。主君のあとを追って自害する、そんな封建的な「明治の精神」が表現されています。

「私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。」(『こころ』より引用)

先生の意識が、K(友人)への罪悪感ではなく、「人間の罪」という抽象的なものに向かっていったことです。明治時代までの封建主義のなかで生きることは、真面目さ、物事への正義やとられ方に苦しむことが描かれています。

「向上心のないものはばかだ」(『こころ』より引用)

先生同様、先生の友人Kも明治時代までの堅物だったと感じます。真面目すぎること、封建的な社会での真面目な生き方を感じます。こだわり、真面目、責任と義務といったところの重さ、そのリミッターが外れたとき、何かを成し遂げないときの自己否定や自分の終わり方を考えています。近代の武士道で言えば「切腹」、現代人には理解できない行為ではあります。 時代背景はあるとして、潜在的に日本人のなかにある生死の選択肢という曖昧な発想を考えることができます。


 

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