剣豪・宮本武蔵の著書『五輪書』「地」「水」「火」「風」「空」の5巻です。江戸時代・寛永 20 (1643) 年、60歳のときに書かれた勝つため、その後にあるべき自分の姿やゴールを描いた哲学書です。成功や勝利を考えた
空手道などの武道は、級位段位があり、古武道でも初伝・中伝・極意などの免許皆伝があります。勝負というのは、資格や形ではなく、実戦であり、経験であり、それを獲るための厳しい心得を説いています。本気で物事を勝ち取るときには共感ができる哲学書です。
序文(宮本武蔵の自己紹介など)
地の巻(学ぶ準備)
水の巻(剣術のこと)
火の巻(戦いのこと)
風の巻(他流のこと)
空の巻(ありかた)
五輪書『序文』
書かれている内容は、宮本武蔵自身の爽快と『五輪書』を書く意気込みです。
《経 歴》
13歳~30歳:がむしゃらに戦で戦い、勝利を目指すのに60数十回(兵法の道を心がけていたと宣言)
30歳:過去を振り返ってみると、これは兵法が極まっていたので勝った自覚はあったけど、鍛錬を続けた
50歳:兵法の道の解が見出したので、探究すべき道はなくなって、歳月が過ぎる
60歳:兵法の道を「二天一流」と名づけて、長年修行を書物にした
《兵法の定義》
兵法の利を”勝利”
《宮本武蔵らしい紹介》
諸々の芸能(武芸)の道としてきたので、師匠というものがなかった
仏法や儒道の古き言葉を借りたり、軍記軍法の古き事例を用いたりはしない。
この流派の見立て(考え)や真実の心を明らかにすること
『地の巻(学ぶ準備)』
武芸の道を進むための「地ならし」ということで『地の巻』となりました。武芸の道のおおまかな内容、基本的な考え方が書かれています。
兵法ということは武士の必須だが、兵法の道をたしかにわきまえたという武士はいない。これは、剣術で強いだけではいけない。
道を明らかにすべき。、仏法、儒道、医者、歌道、数寄者、弓術者など、各種の芸能を極めようとするが、兵法の道について深く考えることをしない。兵法が重要だと言いたい
兵法の道は、他人にまさることが根本
兵法の徳は、斬りあいで勝つ、主君のために戦い功績をあげる
武士は文武両道
兵法の真実は、稽古をしたことと実戦したことが同じである
『水の巻(剣術のこと)』
この巻で語られているのは「水」のように自在に立ち回る極意、戦い(試合)に臨む方法と姿勢について、書かれています。常に先手をとって主導権を握るために、怖がらずに身体ごと前に出て威圧し、競り合っても慌てずにチャンスだと捉えること。そして数々の工夫を挙げた上で鍛錬に勝るものはないはないと最大の哲学を表現しています。
冷静さ、柔軟さ、攻撃性と勇気、そして工夫と経験。どれも勝利にこだわる上では欠かせないものです。宮本武蔵の名言として有名な「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と「近きところを遠く観て、遠いところを近く見る」という言葉が印象的です。
《水の巻・要約》
戦いの時もいつもと変わらない姿勢で平常心を保つ
近いところは全体を把握し、遠いところは手に取るように観察
動きは固定せず臨機応変に動けることが大事、相手によって柔軟に対応
敵の心の準備がないうちに一拍子で打ち、敵が打ってくるのには打ち返すと見せてタイミングをずらしてから打つ
このように自分が主導権を握るのが基本だが、打つ瞬間に無念無想となって打つことだけに没入するのが一番肝心
当てるのではなく、相手を確実に仕留めるために打つことが大事、狙い通りのところに当たらなくてもダメージを与えられる
引け腰にならず、手打ちではなく身体を寄せるように、足と身と手を駆使して電光石火で打ち込み、すかさずたたみかけ、打ち返してきたらさらに早いリズムの連続打ちを返す
身体を最大に寄せて、自分を大きく見せて威圧し、太刀をつけて粘り、体当たりもする
競り合いで相手が焦って早く動こうとしたらチャンスなので、心を大きくして相手にペースに合わせず大きく強く打つこと
敵の身体ではなく太刀を打ちにいってリズムを崩したり、顔面を突いてスキを作ったり、狭いところでは心臓を突く
太刀を受ける際にはそのまま攻める動きをいれ、大勢を相手にする時は囲まれず、一方向で相手ができるように立ち回る
最大のコツは文字では伝えられないのでよくよく鍛錬すべし
『火の巻(戦いのこと)』
火の巻では、正々堂々というよりも、勝つためにあらゆる手段の導入をためらわない武蔵の勝利へのこだわりがうかがえます。まずは環境で優位に立ち、そして相手をよく観察すること。手を変え品を変え攻めて、相手の意図を読んだり封じたりすることを強調しています。
そして、一度崩れた相手は情け容赦なく叩きのめせ説いています。真剣勝負を生き抜くための極意かもしれません。
《火の巻・要約》
環境を見極めて有利な位置を占め、相手の行動を読んで必ず先手をとり、敵の崩れをよく読みとって攻め入る
難局を想定し、相手の立場に立って弱点や勢いを見極めるクセをつける
自分が相手を操れると思って飲んでかかり、こちらのペースを相手に伝染させる
敵をいらだたせ、驚かせ、確信が持てないように迷わせ、弱気を見ては容赦なく押しつぶし、完膚なきまでに叩きのめす
初めに声で威圧し、途中で声で恐怖させ、勝利の後は大きく強く声をかける
敵の思惑がわからない時は、こちらの偽の動きを見せて反応をうかがう
敵の思惑がわかったら、先にその思惑を潰すような動きを見せれば相手の考えを変えられる
膠着状態には同じ試みを続けず、細やかさと大胆さを切り替え、自分のはじめの戦い方を捨てて新たな方策を試し、泥沼の戦いに持ち込んで勝利をつかむ
多人数と戦う時は、一点を集中して攻め、あちこちを回る
太刀によらない勝ち方をも用い、何事にも巌のように動じない
五輪書『風の巻(他流のこと)』
この風の巻を使って他流派を批判し、自分の二天一流こそが一番の流派だと主張する。他流派は何かにつけて太刀の使い方や足運び、戦い方に順序や評価をつけて、奥義だ初歩だと言っているが、戦いに勝利するうえでそんなものには価値がないと断言しています。注目すべきことは、『固定化した技術や動作というのは、特定の環境でしか発揮できない。』。教科書や資格など、実戦では通用しないということです。勝負とはルールの中で行うものではないということを心の底から言いたいと感じます。
《風の巻》
兵法とは道であるから、他流派のように技術を売り物にはしない
長い太刀は弱さの表れ、短い太刀だけでは勝てない
太刀の使い方は幾種類もないし、太刀の強弱は斬れる斬れないに関係はない
かまえは相手が想定の範囲内にいないと役に立たないので、最重要なものではない
敵の細かいところに目をつけると心の迷いが生じる
足使いは平常時のようにしっかりと踏むことが大切で、余計な技術は不要
早いことは素晴らしいことではなく、緩急が大事
初歩や奥義を定義する画一的な流派があるが、実戦では人を斬ることが全て
五輪書『空の巻(ありかた)』
「空の心」は、頭の中で組み立てられた理論だけで成り立っているものではないみたいです。積み重ねてきたこと、自分が社会集団で生きていること、すべてを受け入れて、振り回されない自分の在り方への追究のように感じます。
二天一流は空を知る道
空とは「ない」ということだが、これを真に理解するためには「ある」状態に自分を置かなければならない
武芸を磨き、観ることと見ることを知り、迷いなく、世の中の大きな尺度に照らして間違いのない実(まこと)の道にいるときに、空の境地を知ることができる
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