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執筆者の写真YOSHIN-KAN

昭和の二大武蔵『極真空手・大山倍達総裁』vs『鹿島神流18代目宗家・國井善弥先生』

更新日:2022年7月30日


昭和の二大武蔵『極真空手・大山倍達総裁』vs『鹿島神流18代目宗家・國井善弥先生』


「倒す空手」「実戦の空手」と言えば、大山倍達総裁が設立した極真空手です。大山倍達総裁は、宮本武蔵の生き方に例えて、自分の生き方や極真空手の在り方を説いていました。実際、『宮本武蔵』を愛読しさらに作者である吉川英治に知己を得ており、極真会館の道場訓は吉川英治の監修を得たものであると入れています。昭和の空手家のあこがれであり、そうありたいと思った空手家は多くいたと思います。


戦後、もう一人の偉人・鹿島神流18代目宗家・國井善弥(くにいぜんや)がいました。「今武蔵」という異善弥名をもった人物です。鹿島神流18代目宗家・國井善弥先生は、短気で豪快な剣豪だったそうです。


明治神宮の奉納式のときの演武会に招かれましたが、「俺と試合しよう」と他流派に立ち会いを求めました。数年奉納演武に出入り禁止になりました。幾多の他流試合を相手の望む通りの条件で受けながらも、すべて勝ち続け、生涯不敗であったと言われております。それは、剣術だけではなく、柔術でも、剣術でも、空手でもすべてOKだったそうです。


さて、日本武道は戦後GHQによって、禁止になっていました。それを救ってくれた人はだれか知っていますか?それは、異端児といわれていた國井善弥先生です。


ダグラス・マッカーサーは、日本の軍国主義は、武道の精神などが1つの問題だと考えていました。日本の戦後教育のスタートでは、武道は禁止となりました。そこへ、政治家・笹森 順造(ささもり じゅんぞう)氏が武道復活に向けて、ダグラス・マッカーサーとの交渉に挑んでいました。


グラス・マッカーサーと幾度かのやりとりのなか、グラス・マッカーサーは、「日本の武道が活人剣であるなら、銃剣をもつアメリカ海兵隊最強戦士に、木刀で戦い、殺さず生かさず、勝ったら、日本武道復活させる」無理難題を突きつけてきました。そこで選ばれたのが國井善弥先生でした。結果は、数秒で決着がつきました。兵士の殺意ある攻撃をかわし、ケガをさせる事なく取り押さえることに成功。國井善弥先生の圧勝です。


さて、来賓として招かれた武道大会において、他流の演武を見るなり、國井善弥先生は、「そんな振りで人が斬れると思ってるのか!」と一喝するやいなやその場で講義を始めたそうです。そういえば、空手バカ一代で「もしかして、それ空手」っていうシーンを思い出してしまいました。


極真空手・大山倍達総裁、もしくは、鹿島神流18代目宗家・國井善弥先生の共通点は、真の実戦を重んじた。武道は活人剣・活人拳であれば、武術は殺人剣・殺人拳と言われます。二人は、武術家よりではありますが、礼儀や作法を重んじることから武道家の一面もあり、戦後の武道の在り方を考える上で、知っておきたい人物です。


ところで、政治家・笹森 順造(ささもり じゅんぞう)氏は、小野派一刀流第16代宗家にまで上り詰めた人物です。剣道という名前や試合の禁止から、フェンシングもどきの剣道をしぶしぶ組織をつくってやっていた時期もありました。戦前から学んできた小野派一刀流と武道愛を感じる活動をつづけてきました。日本の武道は、スポーツとして普及させた加納治五郎先生がいたように、グラス・マッカーサーに武道のスポーツ性やスポーツ精神を熱く語り、条件つきで、日本武道復活までもっていった笹森 順造氏の功績も捨てがたいです。


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